日本既另類藝術大師............
さらばSMの巨匠…団鬼六さん逝く 79歳
日本を代表する官能小説の第一人者でSMの巨匠といわれた団鬼六さん(だん・おにろく=本名・黒岩幸彦)が6日午後2時6分、食道がんのため入院先の都内の病院で死去した。79歳。団さんは昨年1月に食道がんの宣告を受けたが、延命治療を拒否。昨年4月にがんを公表した際には「我は死なぬ為に延命するは望まず。大いに楽しみ、生を満喫するために死ぬまで生きることを欲す。」とのメッセージを発表するなど、最後まで生への“快楽”を追求し続けた。葬儀の日取りは未定。喪主は長男・黒岩秀行氏。
がんと闘ってきた団さんが、天国へと旅立った。烈(はげ)しすぎる生を全うした79年間だった。
06年、腎機能の数値が悪化。医師から慢性腎不全と診断され、「人工透析をせねば死ぬ」と宣告されるも1度は拒否。だが、翌07年に友人に紹介された医師の説得で、透析を受け入れた。ほぼ2日に1回のペースで病院に通い続けていた。
昨年1月には、食道がんを宣告された。ステージ2。さすがに落ち込んだという。末期ではなかったが、生きるための延命治療を拒否。手術でなく放射線治療を選んだ。この時の心境を昨年7月に発売された雑誌のインタビューで「もうあかん、とうとうきたかと思いました。病院1カ月入ったんですけど、何にもしゃべられないし、毎日毎日死ぬことばかり考えてました」と明かしている。
放射線治療で食事が取れるようになると、元来の“生への欲求”が病を凌駕(りょうが)。猛烈なスピードで執筆活動に励んだ。
波瀾(はらん)万丈の人生だった。56年SM小説でデビュー。58年には小説「大穴」が大ヒットし、映画化もされた。この時に得た収入で買った酒場も、赤字続きで3年後に手放した。何もかも失い一時は英語教師に転身。その後は就職した制作会社がつぶれ、友人の手形を保証して2000万の負債を負ったこともあった。しかし、がん公表時の「大いに仕事し、大いに楽しみ、生を満喫するために死ぬまで生きることを欲す」の言葉通り、バイタリティーは最後まで健在だった。
死を目前にしても慌てず、自分らしい生き方を楽しみながら追求した。昨夏には結婚式を挙げた神奈川県三浦市の海南神社や教師をしていた同市三崎の中学を訪れ、“お別れ”も済ませていた。がん宣告後の2年間で、20冊以上の著書を出版。大好きなうなぎも、人工透析と同じ回数、2日に1回のペースで食べ歩いた。
亡くなる直前までブログも書き続けた。最後まで快楽主義者らしい文面だった。